2020年11月06日

悲劇と親愛の証の岬にて【いろは旅行記 巻十-⑬】



紀伊半島南端のもうひとつの灯台、

樫野埼灯台です。


悲劇と親愛の証の岬にて【いろは旅行記 巻十-⑬】


悲劇と親愛の証の岬にて【いろは旅行記 巻十-⑬】


紀伊大島の東に位置する樫野埼灯台。

この場所は、かつてエルトゥールル号の悲劇

あった場所です。

トルコの親善使節団を乗せたエルトゥールル号。

1890(明治23)年9月16日、大島樫野埼沖を航海中、

台風に遭遇し、岩礁に激突、爆発。

587名のトルコ人が殉職、

生存者はわずか69名という大海難事故になりました。

この遭難に際し、大島島民は、

不眠不休で生存者の救出・介護、

また殉難者の遺体捜索・引き上げにあたり、

日本全国からも多くの義金、物資が寄せられました。

69名の生存者は、神戸で治療を受け、

同年10月5日、

日本海軍の2隻の軍艦(比叡・金剛)により、

帰国の途に着き、

翌1891(明治24)年1月2日、イスタンブールに入港。

無事帰国しました。

トルコは親日国で知られていますが、

このエルトゥールル号のことを

忘れていないトルコ国民が、今でも日本に対し、

親愛の気持ちを持っていてくれているんだそうです。

↓トルコ軍艦遭難慰霊碑


悲劇と親愛の証の岬にて【いろは旅行記 巻十-⑬】


とても悲しい出来事ですけど、

とても素敵なお話でもあり、

遭難事故はなかったに越したことはないですが、

あってしまった悲劇の中で、

ベストを尽くした当時の大島島民の方たちには、

感謝と尊敬の念でいっぱいです。

そんな紀伊大島ですが、

名前の通り、実は島なんです。

1999(平成11)年、ループ橋とアーチ橋、

ふたつの橋が開通し、

車での行き来が可能になりました。


悲劇と親愛の証の岬にて【いろは旅行記 巻十-⑬】


悲劇と親愛の証の岬にて【いろは旅行記 巻十-⑬】


この橋が、橋杭岩から見えた橋なのです↓


悲劇と親愛の証の岬にて【いろは旅行記 巻十-⑬】


樫野埼灯台は、紀伊大島の東の端(赤〇)↓


悲劇と親愛の証の岬にて【いろは旅行記 巻十-⑬】


緑〇あたりに駐車場がありますので、

歩いて向かいます。

途中トルコ軍艦遭難慰霊碑(青━)もあります。

トルコのお土産屋さんなどもありました。



2020年10月17日



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いろは旅行記 巻八 に関しましては、

↓タグ「2020秋南紀熊野旅行(旅行記 巻十)」をご覧くださいませにっこり


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